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2007年3月31日 (土)

実話怪談と実話風創作怪談

同じタイトルで加藤氏がコラムを書かれていて、相変わらず読み応えのある文章なんだけど、一つ気になる点がある。
それは、投稿者が実話怪談風に書いた創作を、それと判断できるのか、という点だ。
「超-1」の応募規定には、創作はNGとはっきり書かれている。
それでも、悪意を持って、あるいはちょっとしたいたずら心で応募した創作を創作と判断できるか。
……実際のところ、むずかしいと思う。
加藤氏にしてからが、創作を応募する者への防波堤としては、結局はあとで自分が困ることになるといった、精神論的なことしか書いていない。応募者性善説に頼るしかないのが実情といったところではなかろうか。
実際にそういう者がいるかどうかはともかく、つたない文章で書かれた実話よりも、「超」怖い話などを読み込んだ者が考え抜いて書いた創作の方が、講評者の点数は高くなるのではないだろうか。
前回の「超-1」でも、2ちゃんねるのスレッドで創作が本に載ったと書いていた人物がいたが、(真意は不明)そういうことが今後も起こりえる恐れは少なくないのではないか?

多少とも名の知れたライターであれば、自らの作家生命を閉ざすようなことはしないだろうが、名も知れぬネット上の素人を、性善説だけで縛るのには限界もあるかと思う。
「超-1」はいざ知らず、ネット上の投稿系怪談サイトを見ると、なんでこんなポピュラーな作り話を載せるのかな? と、サイトオーナーの見識を疑ってしまうような物も枚挙にいとまがない。(ポピュラーであることを知らない、オーナーの知識不足が主な原因)
当然、「超-1」は講評していない多くの閲覧者もいるので、本当に内容に疑問が生じればなんらかの反応はあるだろうが、それだけに頼るのも心許ない。
何しろ、天ぷらの作り方も知らずに、それがポイントとなる怪談について訳知り顔に講評する人もいるぐらいだから。

危惧に終わればいいけどね。

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「弩」怖い話4

「弩」怖シリーズ第4弾。ただいま読み始めたところ。
今回は、「見える人」サイドからの描写だそうな。
日常的に「見える」人の場合、怪談はどういうことになるか、という試み。……でいいのかな?

最初の話で、いきなり「脳内の声」ときたもんだ。
うわあ、いきなり統合失調症かよ、と思って読み進めると、ちゃんとそうとは言えない現象が提示される。
これは加藤氏、絶対狙って書いたな、と思ったものだ。

ところで、日常的に「見える」人の場合、「見えるもの」に対して、もはや恐怖感を持たないのだという。
そういう立ち位置で話を書いた場合どうなるかと言えば、つまり、「怖くない怪談」になってしまうのは、ある意味必然だろう。
うん。
今回の「弩」怖は怖くない。
もちろん、当事者の目線でなく客観的に現象を見れば、十分に怖いんだろうし、読者としても「いや、それ平然としている場合じゃないでしょ」と突っ込んだりもするだろうけど。

「見える」怪談で、一つ思い出した創作怪談がある。
ロバート・ブロックの「頭上の侏儒(ずじょうのしゅじゅ)」という話。
低脳の男が語り手。
男は自分の頭の上に「イノック」という生物がいて、そいつが自分に命令して殺人を犯させる、と語る。
精神科医は、もちろんそれを男の妄想と診断する。
(おそらく、読者もこの話はブロックお得意のサイコネタと思うのだ)
精神科医は、「じゃあ、そのイノックは私が預かろう。イノックに言って、私の頭に乗るように言ってくれ」と言う。
男はしばらくぶつぶつとつぶやいた後、「行ったよ」と言う。
男はそのまま病室に収容されるが、少しして、精神科医が血相を変えて病室に飛び込んでくる。
「おまえは本当のことを言っていたのか! 頭の上のこいつが、私に人殺しをしろと命令するんだ!」
そして精神科医はイノックに脳を喰われ、イノックは再び男に戻る。

「見える人」に対して一般の人間が持つイメージをうまく活かした佳作だと思う。
たぶんその影響がどこかにあったのだと思うが、拙作の「見える人」もこの系統の話。

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まさかの大豆粉

みのもんたが「ソイジョイ」という食品の宣伝をしていて、「これ、なんでできてると思う?」という白々しい問いを発するわけだが、「まさかの大豆粉」ってことないでしょう。
だって、商品名にしてからが思いっきり大豆(ソイ)って書いてるじゃないのよ。

ここはやはり、みのもんたではなく、インリンを採用すべきではなかったか。
「インリン・オブ・ソイジョイ」って。





……いえ、わかってます。発想がおやぢだって、自分でもわかってるんですよ。

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2007年3月28日 (水)

不謹慎な疑問いくつか

自殺HPで知り合った人間を殺した事件で、先日死刑判決が出た。

疑問がいくつか。

罪状はやはり殺人罪なんでしょうね。自殺幇助ではなく。

殺された人、殺されつつあるときに、抵抗したのでしょうか?
元々死ぬつもりだったんですよね?

あー、不謹慎だ。

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2007年3月27日 (火)

警察大失態!

すぐ下の記事、ベランダに死体があった事件。
現在指名手配されている容疑者、警察が事情聴取しようとして自宅をたずねたが、逃げられたんだと。
アホですか。
こういうときは熱血刑事が階段から飛び降りて追跡するものでしょうが。
いや、冗談はさておき、失態どころの騒ぎじゃないでしょうよ。
銃を持って逃走とかじゃないから、さらに犯行を重ねるということは考えにくいけど、ドアのそばに、ぼーっと立っていたんだろうね。何人で容疑者宅に行ったのかは知らないけど。
近所の警官が見回りに来たというのなら一人だったかもしれないけど、刑事が捜査として来たのなら、一人ということはないだろうしね。
(実際、大昔ロータリー作戦で我が家の聞き込みに来た刑事は二人組だったし)

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テルミン

東氏のブログにテルミンのことが載っていて、意外なところで意外な名を見たので、少しびっくり。
まあ、映画になったりもしたし、知っている人がほとんどいないような物でもないけれど。

わたし的には、テルミンは技術レベル面で知った。
もう大昔、エレクトロニクス関係の製作集的な本で知ったのが最初だったと思う。
その頃はまだ中学生だったか高校生だったかなので、製作スキルも少なく、作ろうという気も起きなかった。
部品さえ入手できれば、今なら製作できると思う。

テルミンは人体の静電容量によって音階と音量を変化できる電子楽器だったかと思う。
演奏時の奇妙な手の動きが珍しいので、話題になったという。(現在も再評価されているようだが、その動きによるものが大きいと思う)
単純にその「音」だけで言うなら、同じ音やメロディーはシンセサイザーで再現できるはずだが、音色だけで話題になっているわけじゃないのだろう。

製作記事が載っていた本は紛失してしまった。
捨てたか、古本屋に処分したか。
いずれにしても、惜しいことをした。
他にもけっこう面白い記事があったのに。

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千日デパート火災など

大阪ミナミのセメント事件を検索してみて、結果として見つけられなかったんだけど、ミナミつながりということで千日デパート火災の記事も目についたので、当時のことを知っている者として、ひとつふたつ。
事件の概要はこちら。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E6%97%A5%E3%83%87%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%88%E7%81%AB%E7%81%BD

火が出たのは3階だったらしいんだけど、深夜だったので、犠牲者は最上階にあったキャバレーにいた客やホステスばかり。
逃げるために窓から飛び降り、デパート横のアーケードをぶち抜いて路面に叩きつけられて亡くなった方もいたという。
むごい話です。
煙と火がものすごく、繁華街だったので、深夜にもかかわらず、すごい数の野次馬でした。恥ずかしながら私もその中の一人です。

千日デパート火災にまつわるオカルト話はやたらと聞きますが、地元民としては、幼稚な因縁話はパスしてほしいな、と。
デパートそばに墓地があるのは事実だけど、昔からあるわけだし、よくある話のように無縁墓地を供養もせずに撤去したというわけでもないので、墓地があるせいで云々というのはどうなの? と思います。
あのあたりが処刑場だったというのも歴史的事実ですが、それに結びつけるのもどうよ、という気がします。

現在の大阪ミナミは、そういったオカルト因縁話よりも、暴力団(日本系、韓国系、大陸系すべて)がらみの事件の方がはるかに怖いですね。暴力団同志が殺し合いするならどうぞ御勝手に、ですが、一般人もみさかいなしですから。

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ベランダに置かれた浴槽から死体が

マンションのベランダに置かれた浴槽から、英国人女性の死体が!
まあ猟奇。

これで思い出した事件。
大阪ミナミに住んでいた頃にあった事件なんだけど、マンションの屋上に大きなセメントの固まりが放置してあって、よく見ると髪の毛がはみ出していて。
固まりを壊してみると、中から死体が出てきたという事件。
死体の性別は失念。事件が解決したかどうかも失念。
なんか暴力団がらみの事件だったような気が。
とりあえず検索してみて、詳しいことがわかったら、前述の浴槽の死体と共に、ネタとしてストックしておこうか。

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2007年3月25日 (日)

800字クトゥルー本日最終日

例の800字のクトゥルー神話、本日が最終日ですね。23時59分59秒までは有効でしたっけ?
ビーケーワンや「超-1」のように応募作すべて公開というわけでなくても、どんな話が応募されたか、読んでみたいですねー。
最終的に、何話応募があるんでしょうね。
ビーケーワンにしろ「超-1」にしろ、公開されることで刺激になって、応募作が増えるということもあると思いますね。
「こんな解釈があったのか」というのもあれば、「この程度なら、オレでも書けらあ」というのもあるでしょうけど。(笑

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2007年3月23日 (金)

出自

怪異の元となるものがどうやって事件に結びついてゆくか。
むずかしいです。
正体や名前もむずかしいですが、どういう風に事件が起こり、それが主人公たちとからんでゆくか。主人公というのは、この場合、黒神由貴や榊真理子のことです。

「遊女無惨絵始末」では、遊女無惨絵をたずねて。正体は、怨念のこもった浮世絵。
「凶走鬼」では、心霊スポットの峠でのクラスメートの死から。正体は、事故死した怨霊の群。
「地獄の業火、浄めの火」では、浮浪者狩りとそれにともなう犯人たちの連続死から。正体は、500年生きる妖怪。
「少女アリス」では、先輩に頼まれて。正体は、自称弁財天。
「願いがかなうアクセ」では、奇妙な事件を目撃して。正体は、中国で生まれた呪物が、自我を持ったもの。

さて。
まだ先の話になりますが、「邪眼の玻璃面」はどういう風にしようかなあと。
ガラスの面というのは決めています。
まだここには書きませんが、それを着けるとどうなるかというのも、決めています。
では、そのガラスの面はどう生まれて、なぜ忌まわしい力を付けるようになったのか。
そしてそれを、なぜ登場人物が持つようになるのか。
などなど。
考えなければならないことは、たくさん。
それらを、ああでもないこうでもないと考えるのも、楽しみのひとつです。

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これを書いたと?

「クロウリーの書」

http://www.chokowa.com/cho-1/2007/entry-blog/blog.cgi/permalink/20070214111609

たまたま某所で書き込みを見つけたんだけど、これを私が書いたと?
ふーん。
文体が違うような気もしますけど。
そもそも、ラブクラフト御大に寄りかかったような、こんな話は書きませんよ。
実話にせよ創作にせよ。
第一、ラブクラフトはホラー小説を書いてはいたけど、自身はそういう存在を信じていなかったんだぜえ。
それを知っている私が、あんな文章でしめるはずないじゃないの。
「見たんでしょうね」って、ラブクラフトがどこかで目撃譚を書いていましたかー?
それに、実話怪談は書けません、と何度もこのブログでも書いているだろうに。
本人がそう言っているのに、信じられないんですかねえ。
前回も今回も、「超-1」には応募していないし、今後もする気はないです。

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2007年3月21日 (水)

ロマンティックな狂気は存在するか

「ロマンティックな狂気は存在するか」というのは、精神科医・春日武彦氏の著作タイトルだが、こういう記事を読むと、ロマンティックな狂気というのは幻想に過ぎないのかなと思ってしまう。

http://mousouteki.blog53.fc2.com/blog-entry-3238.html#more

統合失調症なのだろうか。
近親者はいないのか。保護者は。
こういう「存在」に対しても、理解を示し、差別してはいけないということなのでしょうか?
すいません、勘弁してください。

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「と学会」も木から落ちる

「と学会」という組織(つーか集まり?)がある。
詳しいことは検索していただくなり、書籍を購入してもらうなりしてもらうとして、「と学会」の造語に「トンデモ本」というのがある。
「トンデモ本」とは、こう定義されているらしい。

「著者が意図したものから異なる視点から楽しめるもの」
「著者の大ボケや、無知、カン違い、妄想などにより、常識とはかけ離れたおかしな内容になってしまった本」

「トンデモ本の世界」や「トンデモ本の逆襲」などが出版されていて、一読爆笑ものの痛快本だ。
とは言え、と学会会長の山本某のように、「やーい、まちがえてやんの、だっせーの、ばっかでー」と言わんばかりに、ただ突っ込むだけになっている章もあるのはいただけない。
少なくとも、「異なる視点から楽しんでいる」ということからは外れていまいか。

まあ山本某は置いといて。
「トンデモ本の逆襲」において、唐沢俊一氏が佐藤有文作「骨なし村」を俎上に乗せている。この中で、一つ引っかかる部分があった。以下引用。

 その湯の川は別名玉川毒水ともいわれ、その下流80キロにわたって、すべての生物が絶滅するという猛毒水であった。しかし、この玉川の水は硫黄泉とラジウムが含まれており、どんな難病でもなおるという不思議な性質もかねそなえていた。

ここで唐沢氏はこう突っ込む。

「世の中に、これほど前後矛盾した文章を平気で書くひともちょっといないのではないかと思われる」

これは「地底魔人ドグマ」という小説について書かれているのだが、全体にわたって、なかなかのトンデモぶりらしい。だから上記の部分だけに私が異議を唱えても仕方ないのであるが、一応やってみる。

上記「湯の川」が秋田県の玉川温泉のことならば、実は小説の文章は正しい。
玉川温泉の源泉「大噴」は、pHが1近い、強酸性の温泉だ。
しかも大量に湧出するため、この湯が流れ込む玉川もまた、生物が生存できないほどに高い酸性を示す。
そして、玉川温泉は「ガンに効く」と言い伝えられるほど、効能が高いと評判だ。
要するに、「毒をもって毒を制す」ということだろう。
思うに、この文章を書いた時点で、唐沢氏は玉川温泉のことをご存じなかったのだろう。雑学については誰よりも勝るのだろうが、たまたま温泉に関しては詳しくなかったと思われる。

付記:念のために書いておくと、玉川温泉はガンに効くという定評はあるが、医学的に証明されたものではない。
転地効果とか、同じガンで悩む仲間が集う「心強さ」というのも、ガンの進行を遅らせる役に立っているのだろう。

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2007年3月20日 (火)

ふたりはプリキュア

ま、カテゴリーを「事件」とするほどのことでもないんだけど。

先日、大阪日本橋の上新電機でDVDの新譜をのぞいたあと、店の入り口脇に立って、「さて、これからどうするかな。もう2、3軒見て歩くかな」などと考えていたと思ってくださいまし。
私が立っているところの少し前で立ち止まったある男性。
人相風体、加えて、何かぶつぶつと意味不明なことをつぶやいていることから、
「ああ、知障だな」
と思った。
思っただけ。日本橋に限らず、どこででも見かけるから、別に騒ぐほどのことでもない。
ところが、その知障が、突然叫び声を上げた。

「『ふたりはプリキュア』なんて、きらいだー!」

さすがに驚いた。

「『ふたりはプリキュア』なんて、きらいだー!」

知障は何度も繰り返した。
暴れたりする様子はなかったのだが、火の粉をさけるため、とりあえずその場を離れた。
後ろで、知障はまだ叫び続けていた。

「『ふたりはプリキュア』なんて、きらいだー!」

知的障害者をかばうとき、「この子はおとなしい」という言い方をよく聞く。
でも、知的障害者が起こした殺人事件だって、ある。
本人に殺人という意識はなかったにしても。
ほら、あったでしょ、いきなり小さな男の子をひっつかんで、歩道橋から落とした事件。
その際、今度はこういう発言が出る。

「この事件によって、他の障害者が差別されないよう求めたい」

でも、さけることが可能ならば、危険から身を遠ざけたくなるのは人情ではないでしょうか?
日頃はおとなしくても、突然何かが起こるということは絶対にないと言えるのでしょうか?
「そういう人」に殺されたら、相手を罪に問えない分、殺され損。
反撃して殺したら、過剰防衛でこちらが罪に問われる。
どう考えても、割に合わんでしょう。
だったら、「そういう人」たちとは関わり合いにならないほうがいい。
他の人は知りませんが、少なくとも私はそうです。

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2007年3月19日 (月)

やっぱり病気なんだろなあ

確証もなしに「やっぱり」などというのは問題なのだが、どうしてもそう思ってしまう。
何の話かといいますと、全国のあちらこちらで問題になっていますでしょう?
ゴミ屋敷。
報道で映るゴミ屋敷の主の様子は、単なる収集狂の域を超えているとしか思えない。
何か神経症か精神病かで、そういう症状があるのではないのかな。
「片付けられない女」というのとも違いますよね?
実はその、他人事ではないのですよ。
うちの近所の文化住宅(安アパートのことを関西ではこう称する)の一軒が、そういう状態で。
借り主(分譲ではないはずなので)は、70を越えたじいさん。
ときどき、アパートの戸を開けているところに遭遇するのだが、玄関先、正確にはドアまで、頭の高さまでガラクタが山積みになっている。
当然、中には入ることができない。
物置にでもしているつもりなのだろうか。
ドアがぴったりと閉じていないところから見て、施錠されていないようだ。
悪意を持つ者が火の点いたタバコのひとつも放り込めば、火災になるのは必定。
周辺の住民は、何も言わないのだろうか。

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2007年3月17日 (土)

会社のPCで図面横領、デンソーの中国人技術者を逮捕

 大手自動車部品メーカー「デンソー」(本社・愛知県刈谷市)の中国人技術者が、自動車関連製品の図面を大量にダウンロードした会社のパソコンを無断で持ち出したとして、愛知県警外事課と刈谷署は16日、刈谷市神明町、楊魯川容疑者(41)を横領の疑いで逮捕した。

 調べによると、楊容疑者は社内のデータベースから、産業用ロボットやディーゼル噴射ポンプなどの図面を、支給されたノートパソコンにダウンロードしたうえ、2月5日ごろ自宅に持ち帰った疑い。私物の携帯型ハードディスクにデータを複写した形跡はあったが、楊容疑者は「パソコンは持ち帰ったが、データは複写していない」としている。

 ダウンロードされたデータは約1700製品のデータ計約13万件で、うち約280製品は、社内で機密扱いになっていた。楊容疑者は、来日前には中国の軍需産業管理機関傘下の企業に在籍したこともあったが、デンソーは「ダウンロードした図面は量産品のもので、国の輸出規制に抵触するものはない」としている。

 楊容疑者は、在日中国人らでつくる自動車技術者協会の副会長を務めており、県警でデータを持ち出した動機を追及する。

(2007年3月16日21時33分  読売新聞)

中国人を雇うからこうなるんだよね。
何年勤めたから信頼できるというものでもないでしょ。
スパイというのは、信頼を勝ち取った上で行動するのだから。

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温故知新

妖怪とか伝説とか、昔の怪異を現代によみがえらせる手法というのは、けっこうある。
それが成功するかどうかは、実に著者の力量によるものが大きいわけだけど。
「Xファイル」誕生の元にもなった昔のテレビホラーシリーズ、「事件記者コルチャック」なんて、ベースはオーソドックスな怪物が多かったような気がする。
「ささいな恐怖」では、私が怪物ネタが苦手なせいもあってほとんどそういうのは出ていないんだけど、一度ぐらいは書いてみたいね。
過去に見たことのある、現代によみがえった妖怪ネタでは、
「さとるの化け物」「吸血鬼」「狼男」「ろくろ首」
あたりがメジャーどころ。

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2007年3月15日 (木)

細部へのこだわり/2001人の狂宴

細部にこだわると言えば、ホラー映画「2001人の狂人」について、思い出したこと。

この映画、H・G・ルイスの「2000人の狂人」のリメイクなんだけど、特殊メイク技術が進み、かつ、予算もけっこう使われていることもあって、スプラッターシーンはなかなかの迫力です。
でもね。
やはり引っかかる部分が。
女性が惨殺されるシーン、両手両足を縄で4頭の馬に縛り付けられ、その馬を同時に、4方向に走らせます。俗に「牛裂き」とか「馬裂き」と称される殺害方法。
で、すべての手足がもぎ取られ、女性は死亡するわけですが、胴体はそのまま元の位置にあるのですよ。
おかしいでしょ?
胴体は、最後に残った手足のどれかと一緒に馬に引きずられていくはず。
あ、言うまでもなく、胴体は何にも固定されていません。

こうなった理由は、SFXの方法を考えれば、容易に察しはつきます。
殺害される女性は、頭をのけぞらせた形でセットに潜ります。
その上に、ダミーボディを載せる。
(当然、ダミーボディは動かないように固定されているはず)

ですから、胴体(及び頭部)が手足のどれかにくっついていくはずもなかったわけです。
手足を引きちぎられる俳優の表情を撮影したかったので、こうなったのでしょう。
リアリティよりもショッキングさを選択したと思われます。
ちなみに、1968年の日本映画「徳川女刑罰史」のオープニングタイトルにも同様の牛裂きシーンが出ますが、こちらはちゃんと胴体と片足はくっついたままです。
その分、人形丸出しですが。
公開年を考えると、当時はさぞ衝撃的な映画だっただろうなあ。

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2007年3月14日 (水)

今日が最終回だったというのに

「相棒」、本日終了しました。
スペシャルだけあって、見応えがありました。
「Xファイル」なんかの政府陰謀ドラマだったら、おそらくは真相はうやむや、日本CIA設立をもくろんだ3人組はおとがめなし、ということになったんでしょうけどねえ。
そこはやはり「相棒」。若干の後味の悪さもあるものの、右京さんは相変わらず頭脳プレイでかっこいい。

あー、これでしばらくは水曜9時に見る番組がなくなるなあ。
NHKのニュースでも見るか。
早く次のシーズンが始まってほしいよー。

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メタ実話怪談

タイトルを「偽実話怪談」にするか悩んだが、「メタ」の方が正鵠を射ていると思うので。

実話怪談の定義については、「超-1」にて加藤氏がわかりやすくまとめていらっしゃるので、そちらを参照していただくとして。
世の中には、「実話のように書かれた創作」というものも存在します。
それはたとえば、「超-1」に創作で応募するという意味ではなく、実話風に書くことでなんらかの効果を狙った話、とでも言いましょうか。
「ささいな恐怖」で言えば、「届いた手紙」がそうです。
もっともらしくするため、手紙も自筆のものをスキャンして載せました。

「実話怪談」は実話だから怖い。「創作怪談」は創作だから怖くない。
そういう意見も、たまに見かけます。
では、「実話テイストで書かれた創作怪談」はどうでしょうか。
これは、ラストで作者が「実は作り話でした」とバラさない限り、それなりに怖い(または面白い)ように思います。

具体例をいくつか。

平井呈一氏訳・編の「こわい話・気味のわるい話」(牧神社)第3巻に収録されている「ジャーミン街奇譚」という話があります。作者はA・J・アランという方。
ホラー小説家ではなく、第2次大戦前にBBCに所属していたアナウンサーとのこと。
この方が「みなさん、今晩は」というタイトルで、奇妙な話を放送していました。
「ジャーミン街奇譚」もその中の1編で、ラジオという性格上、語りかける口調に真実味があります。今で言うなら、「稲川怪談」のようなものでしょうか。
あたかもA・J・アラン氏の体験談のように語られるその話は、実はA・J・アラン氏の創作でした。
「ジャーミン街奇譚」のラストには、次のような一節があります。

「つきましては皆さんのなかに、何でもけっこうですから、提供していただけるお考えなり、御示唆なりがありましたら、お手数でもB・B・C局気付、A・J・アランまで、御一報願えれば幸甚です」

実は、「心霊体験サイト」において、似たような文言で締めくくっています。「ああ、こういう手法もあるのだなあ」と感心したのです。

もうひとつ。
夢枕獏氏の「奇譚草子」の前書きで、氏がこう書かれています。

「時おりは、ぼくの造ったまるっきりの架空の物語などもちらちらととり混ぜてゆくつもりなのだが、(後略)」

うーむ。
「奇譚草子」の中に、氏作の話があるということなのか。どれもありそうで、怖かったけども。
あれこれ考えて、これかなとあたりを付けた話もいくつかあるが、確証はありません。
この場合、「どれが氏の創作だろう?」と考えるのもこの本における楽しみのひとつと思いますので、「はっきりせえ」と怒り狂うのはヤボというものでしょう。

「超-1」のような公募に創作実話怪談(これ、言語矛盾ではあるまいかw)を投稿するのは論外だけど、効果を狙って実話形式で書くのはアリだと思う。
そうして書かれた作品まで、「これは実話じゃないからだめだ」と言われても困る。
そういう人って、求めているものが違うのではないだろうか。

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細部へのこだわり

漫画でも小説でも、細部にこだわる人は多いです。
銃器関係で言えば、リボルバーとピストルの区別にこだわるとか、ブローバックや排莢の表現にこだわるとか。
好きなればこそ、正確に描きたい、ということなんでしょう。

さて。
先日、久しぶりにコミック版の「超」怖い話を見返しまして。
初見のときも思いましたが、やはり特別な思い入れはなくても、細部へのこだわりは重要だなあと強く思いました。
「超」怖い話コミック版というのは、復活した「超」怖い話人気に便乗して作成されたと想像しています。
それゆえ、作画を担当された漫画家さんにおいては、納期はごく短いものだったのではないでしょうか。
そういう意味で、不本意な出来で提出しなければならなかった可能性は否定できないので、漫画家さんには同情いたします。
しかし。
やはりひどい部分はひどい。
「わちゃあ」と思ったのは、「キューピッド使い」という話の、キモ部分。
ネタバレになるので話の細かい部分は省略しますが、目の下あたりから上がすっぱりと切断された状態の幽霊(?)が登場します。
この頭部の断面、むき出しになった脳髄も描写されているのですが、これがいいかげん。
まず、目のすぐ下で切断されているとすれば、眼窩部分のへこみが多少はあるはずですが、それがない。絵で見ると、ほお骨ぎりぎりの部分まで脳があるように描かれている。
こんなものは、MRIの画像を見れば、ひと目でわかることです。
もうひとつ。
真上から見た頭蓋内の脳。ぐるぐると渦を巻いている。
なんというか、お好み焼きの上にぐるぐると出したマヨネーズのように。
んなアホな。
脳の解剖図や構造図を見れば、脳が左右に分かれているのはすぐにわかるはず。だから「右脳」「左脳」って言うんだから。
その程度のことすら知らないのは、漫画家の無知。調べないのは、漫画家の怠慢。
恐怖のキモもキモ、クライマックスでそんなしょぼい描写をされては、一気に萎える。
先に書いたように、時間が足りなかったのだろうとは思うが、たったこれだけのことで作品全体の評価が落ちてしまっては、結局損でしょう?

マニアック的ヲタク的に細部にこだわるのは、作者の自己満足的な部分もあるでしょうが、一見無関係に思える細部を正確に表現することで、全体のリアリティが増すことも知っておいて無駄ではないと思うのですが。
コミック版では評価が高かった二ツ木哲郎氏。
劇画調の画風と相まって、迫力がありました。
しかし、この方はどうも感情表現が不得手のようで。
発狂せんばかりの恐怖に直面して絶叫しているはずなのに、表情にそれほどの緊迫感がなかったり。
いえ、むずかしいのは重々承知しているのですよ。
私も昔はマンガを描いたりしていましたからね。
でも、それだけに、残念だなあと思うわけです。

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2007年3月11日 (日)

病んだ人もまた、語りたがる

加藤氏の怪談についての考えは、今までにも個人ブログで時折語られていたが、「超-1」2007においては、そのブログ内でコラムとして発表されていて、これが読み応えのある読み物になっている。
過日、実話怪談について書かれていて、くわしくは実際のコラムを読んでいただくとして、

http://www.chokowa.com/cho-1/2007/entry-log/blog.cgi/permalink/20070304050607

その中で、微妙な点があることに気づいたので、書き留めておきたい。

私自身は、自分は実話怪談の書き手にはなれない、と思っている。
理由は、採話出来ないから。
今まで自分が体験したことにしても、いずれも取るに足りないことであったり、自分の中ではすでに解決していたりすることばかりだ。
実際、もっとあれこれと話が集まるか、採話出来たなら、「超-1」にも投稿しただろうけど。

さて、通常実話怪談を採話する場合は、こういう流れだろうと思う。

体験者→語り→著者→文書化→実話怪談

この中で、体験者も著者も「正常と判断される精神状態」であることが前提になるかと思う。
少なくとも著者は、体験者と幼なじみか親子兄弟でもない限り、体験者が正常な精神かどうかを、体験談を聞きながら判断する必要はあると思う。
少々「イッチャッてる」人の話を、何でもかんでも真に受けていたら、軽率のそしりはまぬがれない。
加藤氏ほどの才人がそれに思い至らないはずはないと思うが、あえてそういう可能性は目をつぶっているのだろうか?

「この間、自分の部屋で知り合い数人といたとき、部屋の壁をすり抜けて、大男が入ってきました」
「それはレアな体験ですね。詳しく聞かせて下さい。そのとき、あなたたちは部屋で何をしていたのですか?」
「粉の上物が手に入ったので、みんなでパーティーを開いて、キメていました」

ここまで聞いて、その体験談を発表する人がいたら、馬鹿と言われても仕方ない。
あるいは。

ある程度の年配の人がいる。ごく普通に社会生活を営んでいる方で、見た目も普通だし、もちろん言動も同様。
実はこの方は、10年前にアルコール依存症から立ち直られた。
さて、この方が語る「11年前の体験談」は信ずるに足るだろうか?
少なくとも、その方が語る体験談とアルコール依存症の禁断症状を比較して、フィルタリングする必要はあると思うのだが。

「信じられないような」体験をした人が、「信じてもらいたい」がために、懸命になって説明する。
確かにそうだろう。
でも、精神を病んだ人もまた、自らの妄想を信じてもらえないために、懸命に語る傾向はある。
okwaveなどのQ&Aサイトを見れば、いくつかは簡単に見つけられる。
それらのほとんどは、典型的な関係妄想(盗聴、追跡)だったり、典型的な統合失調症の症状だったりする。
体験談を聞きつつ、そのときの状況などに疑問点が生じれば、その場で確認する必要はあるだろう。体験者の精神疾患の可能性も残しつつ。
そして、体験者の精神疾患が原因ではないと採話者が判断したなら、読者からそう言われないように文書化するのが、採話者の義務だと思う。
(もちろん、体験者の精神状態に疑問があるかのように含みを持たせて書く手法もある)

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2007年3月 6日 (火)

銃器

まだだいぶ先のことだけど、黒神シリーズの話で、拳銃を出す必要がある。(ような気がする)
夢枕獏氏の「サイコ・ダイバー」シリーズあたりだと、ヤの付く稼業の方の登場となるだろうが、正直、ヤの方はあまり出したくないので、これはさけたい。
となると、現代日本では警察官ということになるか。
ああ、でも、拳銃弾が通用しない相手に対し、とどめの一発を主人公たちの誰かが撃つとなれば、拳銃弾が通用しないことを描写するためにも、ヤの方を出すのも「アリ」か。
今、ヤの方は何を使っているんだろう。
トカレフはもう流行らないか。
中国製のオートマチックあたりかな。

さて、どうしたものか。
まだ先の話だし、ゆっくり考えよう。

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2007年3月 3日 (土)

COCOMは無用か?

「ヤマハのヘリ」を書いたあと、COCOMについて検索してみた。
すると、ソビエト崩壊後冷戦は事実上終結し、COCOMは無用になり、1994年にCOCOMとしてはなくなった、とのこと。

確かに、東西冷戦下状態では、敵味方はわかりやすかった。
西側か東側か。ってな。
けれども、今やぐっちゃめちゃだろ?
民族対立、宗教対立、国境紛争、枚挙にいとまはなかろう。
とりあえずお友達(あるいは同盟国)の韓国にしたところで、あのちびパーマがトチ狂って日本に宣戦布告したら、一緒になって攻めて来かねない連中だ。
そう思っている韓国民は少なくないと思うぞ。
そして中国。
自国へ進出した日本企業から、何やかやと理由を付けて身ぐるみひんむく連中だ。
いくら機密部分をブラックボックス化したところで、いつかは解析される。
そこで得た技術はすぐに軍事転用され、ちびパーマの国が買うわけだ。
金がないかな……おおっと、先日の6カ国協議で、たんまりもらえることになったっけ?
よかったねえ。
アメ公も、直接自分たちにはすぐに利害が及ばないものだから、何もしていないが、そうでなければとっくの昔に総攻撃を始めているわなあ。

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邪眼の玻璃面

タイトル案。
「じゃがんのはりめん」とでも読んでいただきましょうか。
玻璃とはガラスのこと。
ガラスのお面ってことになるんですかねー。
黒神ものに使えないかなと考え中。

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