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2007年12月16日 (日)

クライシス・コントロール

いや、こんな大上段に振りかぶったような話題でもないんだけど。
加藤氏のブログ記事を読んで、ふと思ったので。
加藤氏の記事は怪談に関してのもので、怪談における恐怖感の違い、とでもいう内容だった。
そこから連想して、こちらはリアルワールドの話。
普通に街中を歩いていたり、あるいはニュースなどでも、なんでこんなことをするのか、なんでこんなことになるのか、というようなことがしばしばある。
なんの警戒もなく、スピードを緩めることも左右確認もすることなく脇道から自転車で飛び出してくるオバハン。視線はまっすぐのまま。
自転車に乗った状態で、携帯のディスプレイを注視しているOL。
携帯のディスプレイを注視して早足で歩くサラリーマン。
道の真ん中を、てれてれと歩く老人。

最後の例は、実は私の母親もしばしばやっている。
住宅街の中の道は歩道と車道の区別がなく、せいぜい両サイドに白線が引かれているぐらい。
だがそういうものに無頓着で、道路の真ん中付近を平然と歩いている。
母親がそうしているときは「道の端に寄れ」と怒鳴りつけるのだが、車が来ればよける、などと言う。
では実際に車が来たらどうかというと、最近の車は静音化が進んでいるため、聴力の低下した老人はほとんど気づかないのだ。
「車が来たらよける」ではなく、「車が来ても大丈夫なように、最初から端に寄っておく」という意識はまったくない。
歩行中の携帯操作にしても、私が「誘怪犯」の誌上トラックバックで書いたように、操作中に人とぶつかってホームから線路に転げ落ちたうすらバカのOLが実際にいる。
ここまでくると、もはや「バカ」だの「ゆとり」だのと言っている状況ではないのではないか、という気がしてくる。こういう危機意識のない人間が、増えこそすれ減っているとは思えない。
ゆっくりと、ゆっくりと、日本人は壊れつつあるのではないか、とさえ思ってしまう。

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