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2008年4月10日 (木)

ちょっと悩む

超-1/2008に投稿された話で、主催者サイドから注釈が付き、コメント/トラックバック不可という上で発表されている、「顛末」という作品がある。
注釈によると、前提となる話を読んでいないとわかりにくい内容のため、超-1の規定に引っかかるとのこと。
ではその前提となる話はなんなのだろうと、投稿作を読み返し、わかったのは「家」という話。「顛末」の冒頭の感じではまだあるようにも読めるが、わからなかった。
加えて、超-1関係のBBSでその投稿者が釈明していて、騒動に輪をかけている。
投稿者の釈明を読むと、自分の体験談を知って欲しいから投稿したのだという。
そうだとすると、「家」「顛末」を通して読むと、看過できない矛盾や問題点に気づく。

1.「家」の出来事のあと、投稿者は当事者と連絡が付かなくなったことになっている。
ならば、当事者目線で語られている「顛末」の内容はどうやって知り、誰が書いたのか?
投稿者の釈明が事実であるならば、すべて投稿者の目線で語られなければならないはずだ。

2.「顛末」の終盤部分、なぜかこれまでの「ですます調」が「だ、である調」になり、最後はまるで語り手が死をむかえるような書き方。
投稿者の釈明とは、奇妙な矛盾がある。

話が連続しているというレギュレーション違反を除いても、「実話怪談」と判断するには問題が多い。特に「顛末」後半は、私がいつも問題視している「神の視点」だ。
最終的な判断は主催サイドがつけることであろうが、私自身はこの2作品を認めない。

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