2006年11月30日 (木)

おいかけて(時計7)

彼女の母親と、彼女を見る部分に絞りましたか。
とりあえず、奇譚としては成り立っていますね。
しかしながら、「超」怖い話のエピソードとしては弱すぎますよね。今となっては。
身に覚えのない腕時計の破壊や、処分したはずの時計の出現など、細かい不可思議な出来事の数々の積み重ねで不思議譚を構成していた本編(元話)ですが、それであっても、「不思議な話だねー」ですまされていた程度。
(自主トレ6のような例もあるにしろ)
なので、新書版から文庫版になったときに数編がカットされたように、「今となっては怖くない」として、カットされるんじゃないでしょうか。

http://www.chokowa.com/training/blog/blog.cgi/20061128204239

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2006年11月21日 (火)

残されたもの(時計(6))

コメントされているお二人が、実に的確な評を述べていらっしゃるので、今さら私が書くことはないような気がする。
まずひと言、「おみごと」と称えよう。不思議系にしかならないと思っていたこの話を、怖い系にした手腕は大したものだと思う。
捨てたはずの時計が手元にあるからといって、何が怖いんだと思っていたが、「また戻ってくるのが怖くて捨てられない」というのは、当然ありだな。気持ちはわかる。
ここまで来るとさらに気になるのは、現在の「元カノ」の状況だろう。
死んでいたら怖いし(死霊)、今もまだ東沢氏を想い続けていたら(生き霊)、それはそれで、怖い。

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2006年11月17日 (金)

おくりもの(時計(5))

一読、「おおっ」と声を上げました。
これはまた、思い切ってばっさりとやったなあと。
この話、時計破損から始まって、彼女と別れ、彼女の母親が夢に出、離れた街で彼女の姿を幻視し、捨てたはずの時計が戻っているという、これだけのことを書かねばならないと思っていたので、短くするのは不可能だと思っていました。
捨てた時計が戻っている部分に絞ったわけですね。
これはこれで、ありでしょうね。課題となった話は、不思議感はあるけれど、怪異の焦点が今ひとつつかみにくい話ではあったし。
ただ、いくつかあった怪異をばっさりカットした分、冗長な部分が増えたようにも思います。
そして、怪異が怪異であると読者に思わせるための描写に欠けるような気がします。絶対にここにあるはずがないと納得させるだけの説得力が。
この場合、「あとで誰かが拾ってきて入れたんじゃないの」と言われれば、反論できないと思います。海に捨てたのなら話は変わってきますけどね。

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2006年11月13日 (月)

時計(4)

ひとつおわび。
これまでの三つで、彼女との別れのシーンが説明不足だとかぶっきらぼうすぎるというように書いたけど、元話を久々に読んでみたら、そっちはもっと素っ気なかった。
ごめん。

さて、またも新たな事実が。
東沢氏は文筆業だったのですか。

今までも書いたように、この話は恐怖というよりも不思議的というか、叙情感に重点を置いた話のように思えるが、にしても、ラスト近くで唐突に「竹藪に捨てたはず」とか書かれても、読者はとまどう。

>(……そうか。わかったよ)
>彼は、箱を手にしたまま天を仰いだ。

などと、ひとりで納得されてもね。
これでは、この話の持つ「不思議感」さえも消えてしまう。
ものすごく裏読み&好意的に解釈して、彼女はああいったものの、実は東沢氏に未練たらたらで、その思いが街中での「ドッペルゲンガー」であったり、捨てたはずの時計が戻ることになったりしたということでしょうか?

http://www.chokowa.com/training/blog/blog.cgi/20061111204121

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2006年11月 5日 (日)

時計(3)

語り手の現在が出来事の20年後というのは、初めて出たことですね。
個人的にはもう少し近い過去、多くて10年ぐらいと思っていました。

今さらですが、出来事の時系列は、

時計破損
 ↓
別れ
 ↓
時計廃棄
 ↓
病中の母親幻視
 ↓
街中で恋人目撃
 ↓
数年後、時計出る
 ↓
現在

と、なっているわけですね。
この中で、時計の破損と別れが間をおかずに起きていたと思いませんでした。
(いえ、私がそう思っていなかっただけで)
長さはそう変わっていない割にすっきりとしましたが、恋人との別れの部分が「浮いて」いるというか、妙にギクシャクした印象を受けます。
この話は突出して恐怖感をあおるような出来事は起こらないので、できごとのどれかに重きを置くのではなく、フラットに描くほうがいいのかもしれません。
その場合、「盛り上がり」に欠けるという批判もありえるわけで、むずかしいところです。

http://www.chokowa.com/training/blog/blog.cgi/20061105162628

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2006年10月28日 (土)

時計(2)

話全体の印象は(1)よりはウェッティな感じを受ける。
しかし、(1)に増して文章のぶつ切り感、体言止めの多用が目につき、読んでいて妙にイライラしてくる。
あくまでも個人的好みだけど。

話の冒頭と締めに出てくる「小箱」。中に入っているのが時計であるのは自明なんだけど、そのことを明記していない。
なぜだろう。
別に隠したからと言って、特別な効果が生じるとは思えない。
「何を出し惜しんでいるんだろう」と思うだけ。

病気中に見る恋人の母親。
「お義母さん」はおかしいでしょう。結婚していたわけじゃないんだから。
「お母さん」でも変だぞ。

気になるのが、三つ目の段落の、この部分。

>数日後の深夜。
>東沢氏は壊れていた時計の事を思い出す。
>彼女との、長い電話の最中。
>内容は、別れ話。

正直、理解不能。
彼女と別れたことを描写したいのなら、もう少し書きようがあると思うのだが。

この「時計」という話は、そもそも元の話が、怖い部分のピントをどこに合わせるかわかりづらい話なので、かなりむずかしいとは思う。
捨てた時計が戻ってくることなのか。
死んだはずの恋人の母親の夢を見ることなのか。
遠くにいるはずの恋人の姿を見ることなのか。

今回のこの話、もし「超-1」だったら、確実に×を付けます。

http://www.chokowa.com/training/blog/blog.cgi/20061027204913

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2006年10月22日 (日)

時計(1)

先日の加藤氏のブログにおいて、「1行40字として1行半以上に及んで句点「。」が入らない文章は長いのだ、という自覚は持った方がいいと思う。」という一文があった。
それに従ったのだろうか。
もともとウエットな話であるにもかかわらず、短いセンテンスの連続と体言止めの多用のせいか、ぶっきらぼうな印象を受ける部分がある。(説明不足という意味ではない)
センテンス単位ではぶっきらぼうな印象なのに、全体を通して読むと、妙にくどい。
文章と話の内容が乖離しているように思えてしまう。
短いセンテンスの文章を立て続けに並べる場合、その目的は「リズム感」あるいは「テンポ」ではないだろうか。
この話で言えば、病み上がりの頃に街中で恋人の姿を目撃したくだり、あそこなら短いセンテンスでトントントンと攻めてもいいように思うが、他の部分では、それほど効果的ではないような気がする。

勁文社版「超」怖い話に収録の元話と違うのは、古い荷物の中から泥にまみれた時計が見つかるのと、話者が夢の中で恋人の母親に会ったとき、すでに母親は亡くなっていたのを思い出すこと、恋人の姿を自宅近くで目撃したとき、恋人は札幌で病に伏せていたこと、が入れ替わっている点。
このせいだろうか、元話を読んだときには不思議な印象しかなかったのが、本作では、恋人もなくなっているかのような印象を受けて、ドキッとした。(恋人が亡くなっている説明は、元話にも本作にもない。私がそう思ってしまっただけ)

あ、そうだ。もうひとつ疑問。私が何か読み違えているのだろうか。

>〈わたし、ここを離れることも、あなたについていくことも、できないの〉

あなたについていくこと=ここを離れること、ではないのだろうか。ふたつの選択肢とは思いにくいのだが。

http://www.chokowa.com/training/blog/blog.cgi/20061020182029

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2006年9月28日 (木)

ガスとビニール(8)

話の流れはスタンダード。
ほぼ時系列順に描かれている。
これまでの話と違うのは、語り手を含めて降霊会に参加したメンバーの行動を、かなり悪く表現している点。
飽きた。
疲れた。
あげくの果てに、キレて暴言を浴びせる。
読者をして、「おいおい、どうなっても知らねーぞ」と思わせるに十分なDQNっぷり。
最近の「超」怖い話ではちょくちょく見かける「罰当たり系」に近くなっているが、この系統の話の場合、読者は「身から出た錆」と思うことが多いので、恐怖というよりも、むしろ語り手たちの災厄によって「溜飲が下がる」のではないか。
そう考えると、この話ではそんなに強く語り手たちのDQNっぷりを描かなくてもいいのではないかと。
ちょっとしたいたずら心が、とんでもない事態を引き起こしてしまった、という方が、事態の深刻度は増すように思う。

この話も「ビニール」としか書かれていない。

>ビニールの大きさは一メートル四方。

ここまで書くなら、「ビニール袋」なのか「ビニールシート」なのかぐらい書いてもよさそうなもんだけど。

http://www.chokowa.com/training/blog/blog.cgi/20060928034226

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ガスとビニール(7)

まず語り手の周囲で事故が連続していることを提示。
続いて、以前語り手たちが行った「あること」の説明。
ここで、読者は「ははーん」と、事故の原因を察する。
そしてもう一度事故の説明。今度は詳細に。
ここで、事故と降霊が無関係ではないとだめ押しされる。
とどめは、ラストのガス栓。これは、どの話も変更されていないようで。

まず災厄が起こっていることを提示するのは、「なぜこうなった?」という興味を引き出す手法としては、十分ありだと思う。
ただ、逆に言えば最初に「報いとして何が起こるのか」ということがわかっているため、災厄がどこまでエスカレートするのかという怖さはなくなる。
この作品の場合は、事故の連鎖の恐怖よりも、事故を引き起こしている霊の怨念の強さに重点を置いている。ずしんと来る怖さという点では、こちらの方が上かと思う。

自主トレの場合、発表順=執筆順ではないので、ここで細かいことを指摘しても詮ないのだけど、事故描写部分では、やはり「ビニール」と言うだけでは不親切だと思うなあ。説明不足のそしりは免れないと思う。
「読んでれば、だいたい察しは付くだろ」と考えているわけではないだろうけど。

http://www.chokowa.com/training/blog/blog.cgi/20060925083359

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2006年9月20日 (水)

死因(2)(ガスとビニール(6))

「ほほう」と思いました。
話を聞いているところから始まりましたか。
いや、他もそういう始まり方だけど、詳しい描写がされていて。

こういう書き方をすると、「わかっていたような言い方をするな」と言われてしまいそうなんですが、ガスやビニールを伏線として隠しておくのなら、そもそも降霊した死者の死因を隠しておいて、その後の事故原因にはガスやビニール袋が絡んでいることを詳しく描写した方がいいんじゃないかなあ、と思っていました。
どうも、みんなガスやビニールがらみの災厄に襲われている。そう言えば、あの降霊した死者の死に方は……という風に、体験者と同様の流れで読者に気づかせた方が効果的なのではないかなあ、と。
でも、ここはインスパイ屋する場ではないしな、と思って。
ラストの方で、畳に蝋燭のあとがある描写があります。
この部屋で降霊したんだ。

あ、それと、これは今回の課題通じての印象ですが、どの作品も、わりと体言止めが多いんですね。
単純な好き嫌いなんですが、私、体言止めは妙に鼻について、どうもね。
そのせいで、星新一の諸作も、熱烈に好きとは言えなくてね。
すみません、これは蛇足です。

http://www.chokowa.com/training/blog/blog.cgi/20060920001829

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